このサイトはアフィリエイト広告を利用しています

【02.親の死亡】葬式・葬儀を行う

【02.親の死亡】葬式・葬儀を行う




父が緩和ケア病院で亡くなったあと、最初にしたことは葬儀社の手配でした。

病院での死亡宣告とその後

14時。

家族の時間を持ったあと、医師による父の死亡宣告があり、その後に看護師から今後についての説明を受けました。

  • 父の遺体をお風呂に入れるか?(入れる)
  • 父に着せる浴衣などを用意する
  • バスタオルやシーツは用意する(遺体を移動する時に使う)
  • 葬儀社を決める
  • お風呂に入れる場合、葬儀社の引き取りは17時以降にする
  • 18時頃までに遺体の引き取りをする

特にこの中では葬儀社の決定が一番重要だったようで、心当たりがあるか、すぐに手配できるかなど確認されました。

葬儀社の手配

母が信州さがみ典礼の互助会に加入していたため、その証書を探すために一旦家に帰り、その葬儀社へ連絡。

「この度はご愁傷さまでございます」「どちらの病院でしょうか?」「病院に17時でよろしいでしょうか?」とスムーズに段取りが決まりました。

16時、病院へ戻ると父がお風呂を済ませ、浴衣に着替えていました。看護師に葬儀社が決まったことを伝え、バスタオルを渡しました。

17時、葬儀社がストレッチャーを持って病室を訪れ、父の遺体を葬祭センターまで運びました。

葬儀の打ち合わせと死亡届

18時、葬儀社の営業と打ち合わせ。

死亡届

最初に死亡届に記入しました。

翌日私達の代わりに市役所に死亡届を提出してくださるそうです。

その後、死亡届のコピーを何枚か渡されました。助かりました。

葬儀の打ち合わせ

葬儀は家族だけで行うこと、なるべく早く済ませたいことを伝え、懇意の寺に葬儀の依頼をしました。

以下のスケジュールが決まりました。

葬儀のスケジュール

今日

  • 病院で父の死亡宣告
  • 葬祭センターへ移動

翌日

  • 見積もりと契約(死亡届の提出)
  • お通夜
  • 納棺

翌々日

  • 出棺
  • 荼毘
  • 帰骨
  • 葬儀

この日は父は葬祭センターの安置所で過ごし、母と私は家に帰宅しました。

遺影写真の用意

葬儀に必要となる遺影写真は、父の生前に写真スタジオで撮った家族写真を使いました。

父本人もこの家族写真を気に入っていて、「死んだらこれを遺影に」と言っていたものです。

写真と写真データ(DVD)を購入し、そのDVDを葬儀社に渡すことにしました。

葬儀プランの契約

信州さがみ典礼のプランは大きく分けて2つあり、家族だけなので基本プランを選びました。

  • マイクロバスが付く大規模プラン
  • 基本プラン

別の葬祭センターへの運搬はなく、安置所の利用も1日のみ。家族のみなので料理は無し、お通夜とお葬式とで共通して使える生花祭壇一式を選択して、全体の費用を抑えました。

約100万円の葬儀費用から互助会特典と互助会積立金で約50万円が割り引かれ、支払いは約50万円ほどでした。(寺へのお布施を除く)

互助会は全国に会員の葬儀社があり、長野以外でも使えるので、今後に備えて私と弟も加入しました。

お通夜と納棺

お通夜は1時間ほどで滞りなく済み、納棺のときは家族と葬祭センターの方々で父を移動しました。

幼稚園児の娘は「じいじ、ねてるの?」「おきて、じいじ!」と仕切りに父に話しかけていて、「じいじはもう起きないんだよ」「明日お空に旅立つんだよ」と話すと不思議そうな顔をしていました。

お通夜の会場で一晩過ごすことも可能でしたが、家に帰宅しました。

出棺と荼毘

翌朝早くに葬祭センターに行き、棺に花を入れ、蓋がされ、霊柩車へ。

位牌と骨壷を持った喪主の母が霊柩車へ同乗して、大峰城跡の近くにある火葬場に向かいました。

受付で火葬料金を現金で支払い、最後のお別れをして、火葬。1時間ほど待合室で待ち、遺骨を持って葬祭センターに戻りました。

なぜか飾られていた東山魁夷の絵が記憶に強く残っています。

帰骨と葬儀

葬儀は滞りなく終わり、最後に葬儀を行ったお坊さんにお布施を渡しました。

お墓のことや今後のことについて話し、四十九日の法要のときに改めて考えることになりました。

葬儀後は自宅に祭壇を作るため、葬儀社の方が一式を持って訪れ、組み立て、祭具のセッティングをし、位牌と遺影と骨壷を置きました。

家でお線香を上げたとき、ようやく父の死を実感しました。