父が緩和ケア病院で亡くなったあと、最初にしたことは葬儀社の手配でした。
病院での死亡宣告とその後
14時。
家族の時間を持ったあと、医師による父の死亡宣告があり、その後に看護師から今後についての説明を受けました。
- 父の遺体をお風呂に入れるか?(入れる)
- 父に着せる浴衣などを用意する
- バスタオルやシーツは用意する(遺体を移動する時に使う)
- 葬儀社を決める
- お風呂に入れる場合、葬儀社の引き取りは17時以降にする
- 18時頃までに遺体の引き取りをする
特にこの中では葬儀社の決定が一番重要だったようで、心当たりがあるか、すぐに手配できるかなど確認されました。
葬儀社の手配
母が信州さがみ典礼の互助会に加入していたため、その証書を探すために一旦家に帰り、その葬儀社へ連絡。
「この度はご愁傷さまでございます」「どちらの病院でしょうか?」「病院に17時でよろしいでしょうか?」とスムーズに段取りが決まりました。
16時、病院へ戻ると父がお風呂を済ませ、浴衣に着替えていました。看護師に葬儀社が決まったことを伝え、バスタオルを渡しました。
17時、葬儀社がストレッチャーを持って病室を訪れ、父の遺体を葬祭センターまで運びました。
葬儀の打ち合わせと死亡届
18時、葬儀社の営業と打ち合わせ。
死亡届
最初に死亡届に記入しました。
翌日私達の代わりに市役所に死亡届を提出してくださるそうです。
その後、死亡届のコピーを何枚か渡されました。助かりました。
葬儀の打ち合わせ
葬儀は家族だけで行うこと、なるべく早く済ませたいことを伝え、懇意の寺に葬儀の依頼をしました。
以下のスケジュールが決まりました。
葬儀のスケジュール
今日
- 病院で父の死亡宣告
- 葬祭センターへ移動
翌日
- 見積もりと契約(死亡届の提出)
- お通夜
- 納棺
翌々日
- 出棺
- 荼毘
- 帰骨
- 葬儀
この日は父は葬祭センターの安置所で過ごし、母と私は家に帰宅しました。
遺影写真の用意
葬儀に必要となる遺影写真は、父の生前に写真スタジオで撮った家族写真を使いました。
父本人もこの家族写真を気に入っていて、「死んだらこれを遺影に」と言っていたものです。
写真と写真データ(DVD)を購入し、そのDVDを葬儀社に渡すことにしました。
葬儀プランの契約
信州さがみ典礼のプランは大きく分けて2つあり、家族だけなので基本プランを選びました。
- マイクロバスが付く大規模プラン
- 基本プラン
別の葬祭センターへの運搬はなく、安置所の利用も1日のみ。家族のみなので料理は無し、お通夜とお葬式とで共通して使える生花祭壇一式を選択して、全体の費用を抑えました。
約100万円の葬儀費用から互助会特典と互助会積立金で約50万円が割り引かれ、支払いは約50万円ほどでした。(寺へのお布施を除く)
互助会は全国に会員の葬儀社があり、長野以外でも使えるので、今後に備えて私と弟も加入しました。
お通夜と納棺
お通夜は1時間ほどで滞りなく済み、納棺のときは家族と葬祭センターの方々で父を移動しました。
幼稚園児の娘は「じいじ、ねてるの?」「おきて、じいじ!」と仕切りに父に話しかけていて、「じいじはもう起きないんだよ」「明日お空に旅立つんだよ」と話すと不思議そうな顔をしていました。
お通夜の会場で一晩過ごすことも可能でしたが、家に帰宅しました。
出棺と荼毘
翌朝早くに葬祭センターに行き、棺に花を入れ、蓋がされ、霊柩車へ。
位牌と骨壷を持った喪主の母が霊柩車へ同乗して、大峰城跡の近くにある火葬場に向かいました。
受付で火葬料金を現金で支払い、最後のお別れをして、火葬。1時間ほど待合室で待ち、遺骨を持って葬祭センターに戻りました。
なぜか飾られていた東山魁夷の絵が記憶に強く残っています。
帰骨と葬儀
葬儀は滞りなく終わり、最後に葬儀を行ったお坊さんにお布施を渡しました。
お墓のことや今後のことについて話し、四十九日の法要のときに改めて考えることになりました。
葬儀後は自宅に祭壇を作るため、葬儀社の方が一式を持って訪れ、組み立て、祭具のセッティングをし、位牌と遺影と骨壷を置きました。
家でお線香を上げたとき、ようやく父の死を実感しました。