長年癌を患っていた父が最期を迎えました。
半年前︰抗がん剤が効かなくなる
父は長年癌を患っており、一時は抗がん剤が効いて癌がほとんどなくなる状態まで回復したものの、その後は再発と転移。
一通りの抗がん剤を試すも効き目がなくなり、有効な治療方法が手術しか残されていない状況になりました。
高齢な父の場合、その手術に体が耐えられない可能性が高く、今後の医療方針について医師と父と家族で話し合いました。
結果、手術はしないこと、治療もこれで終わりにすること、痛みが出たらすぐに緩和ケアに移行することになりました。
先々月:肺炎で入院する
家族の風邪が父に感染し、父が寝込んで痰が絡んでひどく咳き込むようになったため、かかりつけ医に行くと、そのまま紹介状を渡され、総合病院に入院することになりました。
検査の結果、父は肺炎を起こしており、1週間ほど入院しました。
肺炎が治って再び家に戻ってくると、入院によって体力が落ちたのか、父はほとんど寝てばかり過ごすようになっていました。
それでも身の回りのこと、トイレや入浴、車の運転などはまだ自力で行えていました。
先月:食事ができなくなる
ある日、布団の中で父がうずくまっており、「歩けないから病院まで連れて行ってほしい」と言われ、かかりつけ医まで連れて行くことに。
かかりつけ医では紹介状を渡され、その日のうちに総合病院で検査入院することになりました。
検査の結果、胃癌の進行なのか内視鏡が通らない状態になっており、そのせいで父は飲み食いしてもすべて吐き出してしまい、栄養失調や貧血を起こしていたようです。
緩和ケアへ
癌の進行によって口から食事ができない状態となったこと、体力の衰えで移動に車椅子が必要なこと、日常生活に介助が必要な状況から自宅療養は難しいくなりました。
ただ、父本人は家に帰って身の回りの整理をしたいという希望があり、それを病院のケアマネージャーに伝えると「総合病院より緩和ケア病院は融通が効く」とのこと。
医師と父と家族で話し合った結果、緩和ケア専門の病院に移ることになりました。
介護保険の申請
病院の介護ケアマネージャーと面談した際に介護保険のことを聞かれ、入院翌日に市役所に行って介護保険の申請を行いました。
認定に当たっては市役所の審査があり、3週間ほど時間がかかり、要介護5を取得しました。
申請日から適用されるため入院翌日に申請して助かりました。
今月:緩和ケア病院へ転院
緩和ケア病院への転院当日は、病院のケアマネージャーが予約した車椅子付のタクシーを利用して移動しました。
初日に書類一式と病院の方針の説明があり、最期を苦しまずに迎えられるように痛みを緩和する治療の提供と無理な延命治療はしないことに同意しました。
父が一時帰宅を希望してる話をすると、前日までに言えばいつでも可能とのことでした。
また、食事ができない状態なので、一時帰宅するならなるべく早めに行うようアドバイスを受けました。
緩和ケア病院の入院生活
緩和ケア病院は総合病院と違い、子供の面会も可能で、面会時間も長く、幼稚園帰りの娘を連れて面会に行くと父も喜んでました。
孫のためにお菓子を買って待っており、毎日面会時間を楽しみにしていたようです。
また、Wi-Fi利用も可能(有料)なためiPadを持ち込んで動画視聴もできたので、家と同じように過ごせたようです。
父自身も看護師さんがよく声をかけて世話をしてくれるそうで、転院してよかったと言っていました。
一時帰宅
遠方の弟の協力で2回ほど行いました。
車椅子に乗った父を車椅子のまま家に入れることができないので、弟が父を抱きかかえて車から家まで運びました。
父は移動だけで疲れてしまうようで、身の回りの整理はせず、家ではひたすら眠って過ごしました。
家で過ごす間は父は何も食べず、水分を舐める程度でした。
排泄は自力でできず、入院時からオムツを着用しており、排尿は病院から借りてきた尿瓶を使い、排便はオムツにしてました。
父の下の世話は弟がすべてしました。
病院からの急な電話
午前中に病院から母に電話があり、父の病態が悪化したとのことで先に母が慌てて病院へ。
その後、父が亡くなったと母から連絡があり、慌てて私も病院へ。遠方の弟にもlineで通知。
父は前日まで元気にしており、今日も午後にお風呂に入る予定でいたそうなので、本人にとっても突然の出来事だったようです。
父は食事がとれない状態だったので激痩せしており、腕の点滴の無数のアザも痛々しかったですが、苦しまずに旅立ったようで、表情は柔らかく良い顔をしてました。